校長通信
ゆくて遥かに
校長通信

2023年12月7日

第276号 2年生研修旅行感想特集①

 第268号でも触れましたが、去る9月27日(水)~29日(木)に、2年生が東北地方に研修旅行に行ってまいりました。まとめとしてクラスごとに感想を集約し、お世話になった東北大学の方に視察報告をお送りするなどの取り組みをこれまで行ってきました。そんな中から、提供していただいた生徒の皆さんの感想文を今回は掲載したいと思います。なお、掲載基準は無く、全く無作為で抽出したものを掲載いたしますのでご了承ください。

【被災地の見学】

〇 福島県という地に今回初めて足を踏み入れた私にとって、それまで福島県はテレビの中の被災地という位置づけでした。東日本大震災当時の資料映像ばかり見ていたためか復興した様子はあまり想像ができなかったのですが、実際に現地に出向いてその印象が大きく変わりました。山間をバスで走っていたからかもしれませんが、思った以上に現地は復興が進み、あまり他の街と様子は変わらない印象でした。ただ、実は自分たちが通ってきた道も、震災当時は地震によって大きくひび割れたそうで、あそこまで復興が進むには相当の努力があったのだろうと思います。施設にあったサッカーフィールドについての説明もかなり印象的でした。震災でJヴィレッジが避難場所となったとき、電源を喪失したためにヘリが着陸できない状態。そこでスタッフの車をフィールドの上に集め、照明を一斉に焚いたということでした。そんな状況はサバイバル映画でしか聞いたことがなかったので、まさにそれほどの非常事態であったんだということが改めて強く認識させられました。私が気づきを得た場所は他にもあります。Jヴィレッジ内でふと目にした線量計に映し出された、「ここは0.18μSv」。ああ、ここは本当に原発事故があって被災した場所なんだなと感じざるをえない瞬間でした。当時はあの数値がもっと高く、活動場所を制限されることも多かっただろうと思います。東日本大震災当時自分はまだ4歳であり、現地の様子をリアルタイムで収集していた記憶はありません。しかし、今回のお話を通じ、現地ではあの時多くの人が大変苦労なさっていたのだと学ぶことができました。

〇 福島ハイドロサプライの方からお話を聞かせていただき、「水素の活用」~その利点と欠点~ に注目して水素エネルギーについて学びました。水素エネルギーには、運びやすい、使いやすい、動力はガソリンと変わらない、水以外を排出しないクリーンなエネルギーである、といったような多くの利点があります。しかし、ピストンが凍ってしまうため福島より北での発電が困難であること、圧力を保つためトレーラーなどに入れる際満タンにはできないこと、目に見える物質でないこと などの課題の数々によってあまり普及していないことがとても勿体ないことだと思いました。水素カーが新車だと800万円かかってしまうこと等改善して自分たちの世代での積極的な活用がされるように考えたいと思うことができ、いい機会になったと思います。

〇 研修旅行で最も心に残っているのが、2日目の南三陸町で見た防災庁舎です。鉄骨がひしゃげている様子に、「この鉄骨は柔らかいのではないか」と思うほど衝撃を受けました。津波の恐ろしさを肌で感じました。テレビで見たことしかない実態を体験する機会ができて、自分にとってとても良かったと思います。あの景色は忘れられないし、忘れたくないな、と思いました。

〇 南三陸町では、リアルで簡単には片付けられない暗さや悲しさを感じた。テレビで見た津波の映像で映っていた場所に立って話を聞くことは滅多にない経験だった。実際に見ていても少し遠くに海が見えていて、あの海が壁みたいに押し寄せてきたなんて想像もつかなかった。でもその想像できないほどの災害が目の前で起こったことは事実で、怖さはもちろん、語り部の方たちが自らの大切な人々が亡くなった悲しい事実を思い返してまで私たちに懸命に伝えてくれている意味が少し理解できたと思う。

〇 被災した地域はほとんど復興しているのではないかとイメージしていました。しかしそんなことは全くなく、まだまだ復興途中の地域も多く、本当に大きな災害だったのだなということを実感しました。更地になっている様子を見て、今後の都市計画とか、防災とか、様々な課題に直面しているということをあらためて実感しました。

〇 気仙沼の災害遺構の高校に着くと、まず目を引いたのは何かがぶつかって凹んだ4階の壁。津波の壮絶さを目で見て直に感じることができます。あの日のままで止まった高校の姿を実際に見て、災害の恐ろしさとともに、1人の犠牲者も出さなかったことがどれほどの奇跡であるかを実感しました。たくさんの生徒の青春の営みの場が一瞬で壊されてしまったこと、当時の生徒たちは何を思ったんだろうか/誰の、どこからきたものなのかもわからない生活の品々、持ち主は無事だろうか、と本当に色々なことを考えさせられる見学でした。屋上に登ると気仙沼の街が一望できます。海沿いはまっさらで、振り返れば丘の上に住宅街が。ああ、そういうことなんだなと、言葉にもなりません。語り部の方は、それぞれのエピソードを伝えてくれるとともに、実際津波がどういうものであったか、どうしてそうなったかなど、教訓だけでなく、科学的根拠に基づいて“生きた”知識を与えてくださいました。生涯癒えることのない心の傷を抱えて、何もかも失って私たちに計り知れないほどの痛み、苦しみ、悲しみを経験して、それでも強く強く生きていく現地の方々を非常に尊敬します。大切な機会でした。

〇 まわりはほぼ空地でその中に小学校だけが当時の姿でそのまま残っている。そして入ってすぐの献花台。大川小学校に到着してから、それまでの場所とは全く違う雰囲気を肌で感じました。展示されていたボードにもあったように、大川小学校はまわりにもともと街があったはずです。そんな元の状況とあの場で見た光景を比較するといかに悲惨な出来事が起こったのかが想像できます。剥きだした鉄筋、ねじり倒された渡り廊下、滴る水滴、私が見た一つひとつのものがまだ当時の様子をあちらから訴えかけてきているようで、重く、悲しい気持ちがわいてきました。また山の壁面を通った時に語り部ガイドの方がある言葉をおっしゃいました。「重機とかスコップなんて使えないですから、みんな自分の手を使って土を掘り起こしていくと、自分の友人や子どもが土の中から出てくる。その顔や体から土を払ってやって、冷たくなった亡骸を抱きしめる。そういう状況だったんです。」この言葉を聞いたとき、私はずんと沈むような気持ちになりました。

写真は南三陸町の大谷中学校

 私も10月に仙台市で行われた同窓会東北支部に出席をしました。同窓生の皆さんと2次会で語り合う中で、研究に携わっている皆さん、医療に携わっている皆さん、市や区の役割を担っている皆さんが、それぞれの立場で災害や防災に対する思いをお持ちであることを、お話から感じました。その中で、若い研究者の皆さんが、自分の研究を防災科学や都市計画、新エネルギーの各分野と結び付けたいと感じている背景には、この震災の体験が深く心に刻まれているのであろうことを強く思いました。私も翌日、午後に長野市で予定されていた会合をキャンセルして、仙台市周辺の被災地を、あらためて訪問してきました。