校長通信
ゆくて遥かに
校長通信

2023年8月29日

第264号 定時制について

 毎年10月に定時制通信制の高校生による「生活体験発表会」が行われていることはご存じでしょうか。この大会は長野県内の定時制(多部制)あるいは通信制で学ぶ生徒たちが、自らの生活体験を振り返って文章にまとめ発表する大会で、県内4つの地区大会で選ばれた生徒が一堂に会し、全国大会出場(代表1名)を目指して発表をします。私も機会を得て、何回かこの大会で発表を拝聴しました。今年も10月7日(土)に東御市のサンテラスホールで実施される予定です。

 この大会では生徒たちの多様な思いが語られますが、いずれも様々な挫折や困難の中、それを乗り越えようとしながら、それでも高校は卒業したい、という願いの中で頑張っているというものが相次ぎます。家庭環境のために全日制に通うことができなかった人、中学時代にいじめられたり、全日制高校の生活リズムが自分に合わなくて辞めてしまったけれど、定時制で人間関係を気にせずに自分のペースで学んでみたら、物事を前向きに考えることができるようになったという人、少ないクラスメイトの中で初めてリーダーとなり、文化祭を成功に導くことのできた爽快感と達成感を語る人、中卒でそれまで思うような仕事に就けなかった女性が、子育ての卒業を契機に一念発起して定時制高校に入学し、高校を卒業したら看護師を目指そうと決意している人、日本語があまり理解できず、日本語の支援を受けながら勉強し、就職の内定を勝ち取った海外出身の人、病気の影響で、毎日学校へ通うことが困難なため、通信制高校に入学した人。その人は普段は家で学んでいるのですが、週に一度の登校日には、片道100kmの道のりを学校まで送り迎えをしてくれる母親への感謝の言葉を述べてくれました。歳を取って涙腺がもろくなったおじさんの私は、この大会を観覧すると、終始涙をこらえるのに必死です。言語活動にしても、芸術活動にしても、またスポーツにおけるパフォーマンスにおいても「自分を表現すること」そして「相手の表現を受け止めること」、これは、実は大変な作業です。少しの勇気としなやかな心が必要で、自分をさらけだしつつ、相手も受け入れなければならない。実は多くの経験と技術が必要となってくる活動でもあります。だからこそ、それに向き合った人々の心を揺り動かし、元気を与えることができるのだと思います。

大会の発表を収録したもの

 最近は生徒の多様な学びのニーズに対応し、様々な事情があったり、それぞれの考え方に基づき選択する人がふえている定時制・通信制ですが、少し前までは、義務教育終了後、家計を助けるために働かなければならないけれど、高校で学びたいというニーズを受けとめる学び舎として、多くの十代の若者が入学をしていた時代があります。そして、この松本深志高校にも夜間定時制の歴史があることを皆さんはご存じのことと思います。本校の夜間中学の歴史は大正13年(1924)年、今から99年前にさかのぼります。私立夜間中学校として発足し、当時は様々ないきさつがあったようですが、最終的に松本市立夜間中学となって県立松本中学の校舎(お城にあった校舎です)において授業が行われます。そして戦後、松本深志高校発足と同時に県立に移管され、松本深志高校は全日制と夜間定時制の二つの課程が存在する学校として再出発します。定時制は卒業までに4年を要していましたので(現在は単位制・多部制として3年で卒業できるしくみもある)、昭和30年代はじめには100名を超える生徒が入学し、定時制だけで400名近くの生徒が在籍していました。しかし徐々に定時制入学者数が減少する中、昭和45年(1970年)に定時制課程の拠点となる松本筑摩高校が開学して、松本深志、県ケ丘、美須々ケ丘、塩尻高校にあった定時制は募集を停止し、本校の夜間定時制も昭和48年3月に最後の卒業生を送り出して幕を閉じることとなりました。以後、本校は全日制のみの高校となるわけですが、49年間存在していた定時制の歴史は本校の150年の歴史の中にしっかりと刻まれています。

「深志百年」より 夜中時代の授業風景と、明るく輝く夜の深志高校

 昨年、本校定時制を卒業された、市内にお住いのTさんからお手紙をいただきました。Tさんが定時制に通っていた時の思いがお手紙からひしひしと伝わってきましたので、ここに掲載させていただきたいと思います。

 私は深志定時制第10回(昭和33年)に卒業をしたものです。現在84歳でありますが、深志の定時制で学んだ事が、自分の人生での仕事、教育、生活面で大きな力となって、日々を送ってきました。心より感謝しています。高校受験を前にしていた中学3年生の時、進学か就職かの調査があり、私は家庭の事情から、一日でも早く働いて力になりたいと、就職組を選びました。その時、別のクラスの担任だったY先生から、「これからは学問が必要であり、働きながら学べる深志の定時制を受験したら」と助言していただき、進学組に変えたということがありました。当時全体の2割程度は就職したと覚えています。深志の定時制に入学して、4年間勉学に頑張りました。仕事も文房具店、歯科技工の材料店、エルビーの配達、新聞の配達、役場の当直等、7か所くらいを4年間働きました。仕事は大変でしたが、とにかく学校へ行くことが楽しみで乗り切っていました。夜間定時制の先生方全員が、親切で、優しく、いつも応援して下さったことで励まされ、その後の人生も頑張ることができました。お陰様でその後国鉄の入社試験にも合格し、以降松本機関区の整備係として働くことができました。(後略)

 中学校、高校と、学校や職場で様々な人と出会い、支えられながら過ごしたことへの感謝を、あらためて深志高校にお伝えくださったのだと思います。ありがとうございました。わたくし事ですが、私の亡くなった父は、長野県の国語の高校教員として昭和29年に採用され、初任が深志高校夜間定時制で11年間お世話になっています。ちょうどこの方が在学されたころ、父が若手教員として関わっていたのでしょう。深志定時制に勤めていたころの話はほとんど聞いたことがありませんが(徹夜でガリ版を切って作ったテスト問題をバスの網棚に忘れて大変なことになった話だけは聞いたことがありますが)、この方のお便りを通じて、亡き父を偲ぶ機会もいただきました。