校長通信
ゆくて遥かに
校長通信

2022年6月17日

第210号 深志の歴史地理(入門編)

 来週、期末テストを迎え、やや重たい気持ちの生徒の皆さんも少なくないと思います。でも、期末テストが終われば、24日は各学年行事があり、さらにとんぼ祭へと向かいます。少しだけ歯を食いしばって期末テストを乗り越え、夏の行事へと進んでいきましょう。

 さて、24日に予定されている1学年行事の中で、松本市内散策を行うクラスがあるようですが、そのクラスに提供した写真資料を今回掲載したいと思います。昭和10年7月に、当時の松本中学が現在の深志ケ丘に移転する以前、校舎は松本城のお堀の内側にあったことは、皆様ご存じかと思います。下の写真は長野県立歴史館が平成25年に実施した企画展で展示されたものです。

長野商業学校と飯山中学の練習試合(長野商業高校同窓会所蔵、長商同窓会より掲載許可をいただきました)

 当時、二の丸あたり(市立博物館=休業中付近)に校舎があり、黒門の北側、現在本丸庭園になっているところが運動場でした。写真の練習試合を行っているのは松本中学ではありませんが、まさに現在入場料金のかかる場所で、松本中学の生徒は体育の授業などを行っていたというわけです。そう言えば、応援歌にこんな曲がありましたよね。

「敵のヒョーロクダマどえらくなぐれ 天守閣まで打ち上げろ それスコンクノ-エ」

 ご存じの通り、高1の歌の練習で覚えた応援歌の一つです。当時は「天守閣まで打つ」という歌詞が、ピンときていませんでしたが、写真を見れば納得、本当に「天守閣まで打ち上げろぉ!」というイメージなんですね。歴史館で行われた企画展を見に行った帰りの車の中で「敵のヒョーロクダマ」がグルグル頭の中で回り始めて止まりませんでした。ちなみに「ヒョーロクダマ」は、相手に対してマイナスの意味合いで用いる言葉ですので、具体的な相手に対して安易に使ってはいけません。

 ところで、大正5年の松本市街図を確認しても、天守閣の東側が松中の運動場であったことがわかります。このほかにも松本城のお堀が現在と比較すると重層構造になっていたこともわかります。また大門沢川をはさんで西側に「高等女学校」と書いてある現在の蟻ケ崎高校がありますが、周辺の道路も市街地も今と比べて随分少ない(規模が小さい)ことがわかります。松本駅から現在の深志高校に北上する「こまくさ道路」もありませんでした。

「深志百年」掲載、「松本中学校開校式繁栄の図」(明治18年10月9日)
天守閣からサーチライト?が照らされ、花火が上がり、気球も上がっている⁉

 一方、戦後昭和22年の松本市街図を見てみると、当然ですが昭和10年に移転した松本中学は現在の場所に位置しています。道路は整備され始めていますが、学校の周囲はほとんどが桑畑で、駅までのこまくさ道路は完成していません。松本城のお堀は埋め立てが進んで現在の形状に近いものになっています。松本駅前から現在の市民芸術館前を経由しイオンの東側を通る「やまびこ道路」には市電(松本電鉄浅間線、今残っていればアルピコ交通浅間線と称したでしょうか)が走っていました。モータリゼーションの到来によって、1964(東京オリンピックの年)に廃止されましたが、あがたの森(かつては旧制松本高等学校)、信州大学や病院(かつては陸軍第50連隊が置かれていた)、松本の奥座敷の浅間温泉を結ぶ公共交通機関でした。地図は許可なくホームページにコピーを掲載できませんが、地図を見ながら松中ー深志の歴史や、松本の現代歴史地理を語りたいと思った方は、どうぞ校長室をお訪ねください。

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